Tagged in: 経済協力

アジアの経済協力はどのように変わっていっているのでしょうか。

現在、アジアは経済において根本からの変革が行われている最中です。
中国では輸出主導型から消費主導型へと成長しました。
インドでは逆の事が起こっており、インド製商品の製造、輸出が経済成長へつながると考えられています。
2015年に設立されたAEC(東南アジア諸国連合経済共同体)は、更なる物品、サービス及び労働において東南アジア内での更なる動きを目標にしています。
日本はこの構造改革を各国の競争心を高める事になると受け入れています。
この動きはASEAN(東南アジア諸国連合)地域の経済協力及び統合を促進しています。
更にこれは6つのパラダイムシフトを推進します(それぞれ地域経済の予想に深く関係している)。

中国などが中(上)流階級の国になってきた事により、アジア諸国はアメリカ合衆国、EU(欧州連合)のような世界的輸入国になってきました。
アジア及び太平洋による地域間貿易は2010年〜2014年は55.8%だったのですが、2015年には57.1%に上がりました。
GMS(大メコン圏)においては同期間で2倍の8%(4000億ドル)にまで上がりました。
地域間の貿易はそれほど盛んではありませんでしたが、アジアの需要と供給のチェーンとなる事を予想せれ、最近ではそれが専門化されてきています。
AECは恐らくアジアを大きな単一市場にしようという計画の第一歩だと言えるでしょう。

地域間投資の成長は今後も期待できます。
地域内でのFDI(海外直接投資)は2015年には全体の52.6%のまで増加しました。GMS加盟国、カンボジア、ラオス及びミャンマーではFDIの大半は中国、タイ及びベトナムから来ています。
中国の会社は地域的な合併や買収を盛んに行っており、2015年には投資額は合計で500億ドルにまでなりました(アジア全体の約40%)。

地域的なサプライチェーン及びバリューチェーンは再形成されています。
中国及び日本のような高賃金国の会社の多くは、ASEANへの移動を考慮し始めています。
中国企業は更に中央アジア及び東南アジアへ進出し始めています。
この流れが続くと、地域的なサプライ及びバリューチェーンが確立されていき、アジアで独立した統合経済の確立につながります。
アジアの国々は協力し、包括的で環境に配慮し、経済的にも安定した地域を作っていく必要があります。

人々が国境を行き来する事もまたアジアの経済の独立につながります。
2010年のアジア内の移民者は全体の38%で、2015年には36.7%に下がってしまいましたが、人数的には3,060万人と良い数字を出しています。
アジアへの旅行者も増加しており、海外からのGMSへの旅行者は2015年には6,000万人にまで達し、2008年の2,600万人と比べるとかなりの成長が見受けられます。
これらの事から、アジア各国政府が国境間の移動をさらに促進させる努力をしなければならないとプレッシャーを感じています。

アジアの政府は、品物、サービス及び労働力の移動が更に簡素化するような地域及び国間での交通網を発達させなければなりません。
この事に関しては、交通機関の建設がGMS内では活発になってきています。
地域間の交通機関の連結は、徐々にではありますが進められてきています。更に発展させるためには、更なる政策や政府の協力が必要です。
更に、アジア地域での新たな輸送機関、ロジスティクス(輸送機関を独立させる地域の枠組み等を含む)の開設が必要です。
GMSにおいての貿易の円滑化に関する協定は確実な第一歩です。しかしこれではまだ足りません。

過去10年アジアは資本不足の解消に成功し、現在は豊富な資本を獲得しています。
アジア経済においての外貨両替も、1990年代の7000億ドルから、2014年には4兆ドルにまで上昇しました。
資本の流れはアジア内のみではなく、他地域からも増えています。
これは、資金面においての地域及び国の発達に大きく関わっています。
アジア諸国の発展において海外からの経済援助も不可欠ですが、彼らは経済をさらに発展させ、ライバルになっていかなければなりません(海外からの援助なしではやっていけない時代は終わったのです)。
経済改革によりアジア地域や国間においての協力及び統合が活発化し、これらは独立した経済の確立へつながります(これにより物品、サービス、労働力及び投資の国間の移動も活発化する)。
AECによるアジア単一市場及び生産拠点という目標は、近い将来実現する可能性を秘めています。
包括的で、環境に配慮し安定した経済を築いていくには政府が一丸となり協力する事が不可欠です。

ADBの大メコン圏においての責任者です。ADBに加わる前にはWTO(世界貿易機関)組織のベトナム外務省でありベトナムのWTOへの参加に貢献しました。同様にベトナムとアメリカ合衆国の二国間貿易協定にも携わっていました。
インドネシア、ジャカルタのASEAN事務局においてプログラム調整組織を率いていました。